もったいない

著:こどころせいじ
貴方は、番目の読者です。

母は、たまごの「パック」を保管している。あの透明な容器をいくつも重ねて、台所の引 き出しに仕舞ってあるのだ。定期的に整理しているらしく、せっせと箱に詰め替えてはタン スの上などに乗せている姿を何度も見たことがある。
 いつ頃からそうしているのかは知らないけど、少なくともぼくが物心ついた頃からそう だった。
 先日も、溜まりすぎたその「たまごパック」を引っぱり出し、段ボール箱に詰めて、ぼく の部屋へ持ってきた。
「悪いけどこれあんたの部屋に置いといて」
 団地の収納スペースはたかが知れている。いつかはぼくの部屋にも段ボール箱が積み上げ られる日が来ることは覚悟していた。
 ずいぶん昔に尋ねたことがある。ぼくが小学校の一年生のときだったから、もう、十年ほ ど前のことだ。
「お母さん、そんなものどうするの?」
 ゴミにしか見えない物を捨てずに保管しているのだから、当然なにか隠された用途がある に違いない――ぼくはそう思った。大人の「知恵」が聴けるのではないか? 未知の「衝 撃」がそこにあるのではないか?
 母の答えはこうだった。
「捨てちゃ、もったいないわ。氷をつくるときに便利でしょ」
 なるほど、あの、たまごが収まる「くぼみ」に水を張って冷凍庫に入れれば、ちょうど良 い大きさの氷が出来るじゃないか。要するに「製氷器」として使うのだ。
 母が偉大な発明家に見えた。とても頭が良いと思った。  ぼくは、母が「たまごパック製氷器」を駆使して氷をつくる日を、今か今か、とわくわく
しながら待った。偉大な発明の偉大な成果をこの目で確認するのだ。
 だけど、いつも出てくるのは、普通の製氷器でつくった四角い氷だった。オレンジジュー スにも、リンゴジュースにも、ぼくの期待するような「半たまご型」の氷は浮かばなかっ た。
「お母さん、ほらアレ、まだ?」
 暗に催促してみると母は、「なにが?」と、不思議そうな顔をした。
「氷だよ。氷」
「氷なら、ちゃんと入ってるでしょ」
 と、コップを指さしながら、実に不機嫌そうな顔をするだけだった。
 ぼくは、混乱する頭を整理してみた。
 たまごパックは「製氷器」として使うために保管してある。だけど、実際に働くのは普通 の製氷器。たまごパックに活躍の場はない。
 いったいどういうことなんだろう?
 少し悩んで答えが出た。
 つまり、今使っている製氷器が壊れたら、たまごパックの出番となるのだ。たまごパック は「予備」なのだ。予備にしてはいくつも保管してあるのは少し変だという気もしたけど、 幼かったぼくは一応納得した。
 そして待った。現役の製氷器が壊れる日を。
 だけど、そんな気配はまったくなかった。
 それも当然だった。
 製氷器なんて壊れるような物じゃない。ただ凹凸があるだけのプラスチックなのだから、 燃やしでもしない限り今後もバリバリ働き続けるだろう。「彼」は、いつも冷凍庫の中に あって、出てくるのは新しく氷をつくるために水を張るときだけだ。ほとんどの時間を冷た い室内で過ごす。燃えることはあり得ない。団地が火災に遭っても涼しい顔をしていそう だ。
 そうすると、たまごパックはいつ使用されるのか?
 ぼくは、手荒い行動に出た。こっそり製氷器を真っ二つにしたのだ。
「あれ、製氷器が割れてる」
 母の声に、ぼくは、「ごめんなさい。氷を出しとこうかとおもって、力を入れたら割れ ちゃった。エヘヘ」と、お茶目な子供のふりをした。
 いよいよだ。ついに「たまごパック」が、そのベールを脱ぐのだ。いざ、立ち上がれ、た まごパックよ。その実力を存分に見せつけてやるのだ――ぼくは興奮した。
 だけど、母は「ついに、アレを使う時が来たわね」とは言わなかった。何事もなかったか のような顔になり、ふたつに割れた製氷器を取り出すと、それに水を張り、あっさり冷凍庫 へ戻した。
 結局、氷を一ダース製造できる製氷器は、半ダース製造できるそれふたつに変身しただけ だった。
 おかしい……どうして「たまごパック」にお呼びが掛からないのだろう?
 翌日、母はぼくに言った。
「悪いけど雑貨屋さんで製氷器買ってきて」
「なんで?」
 とぼけてそう訊き返すと、母は、「製氷器がなくなってるのよ。変ねぇ」と首をひねっ た。
 ここにきて、ぼくはやっと母の「氷をつくるときに便利でしょ」との言葉を疑った。製氷 器を消し去ってみても「たまごパック」を出動させず、新しい製氷器を購入しようとするな んて……。あの言葉は嘘だったのだ。
 ぼくはたまらず父に相談した。「たまごパック」は何か良からぬことに使用する目的で捨 てずにいるのだ。それは非常に大事なことなのだ。でないと、あんなゴミを大切に保管する ことの意味が理解できない。
 はっはっは、と父は笑った。そして、ぼくは「貧乏性」というものを知った。
 世の中には、どんな些細な物でも捨てることに抵抗をおぼえる人がいるらしい。母は、そ の「もったいない人」だったのだ。
「たまごのパックだけじゃないぞ、母さんは、輪ゴムでも、包装紙でも、カップラーメンの 器でも、なんでもかんでも溜め込んでいる。いつかは使うときが来るだろう、なんて考えて な」  でも、その「いつか」は絶対に来ない、と父は断言した。
 ぼくは頷いた。現に「たまごパック」は製氷器として日の目を見ることができなかった じゃないか。
わからない……。ぼくは小さな肩をすくめて、お手上げポーズをするしかなかった。
 今まさに、ぼくは十年前のお手上げポーズを再現していた。
「もう収納場所がなくなってなぁ」
 父は、あきらめ顔で言う。いつかのようにはっはっはと笑う余裕はないようだ。
 父は、昨日母から「レンタル倉庫を借りてちょうだい」と頼まれたのだそうだ。
「月、一万二千円だそうだよ」
 もったいない話だ。
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