クリスマスプレゼント

著:こどころせいじ
貴方は、番目の読者です。



 えっへん、と咳払いをひとつして、修一はニキビひとつない頬を、ペンダコのでき た中指でホリホリと掻いた。文化祭で、焼きそばの売り子をした時のような照れくさ さがあった。
「発表します」
「うむ。酒井君、頼むよ」と田中店長は、期待に満ちた目を向けてくる。「我が店の 窮状を救えるのは、君のようなヤングマンなのだからね」
「はあ」とうなずく修一。あえて「ヤングマン」なる発言には突っ込まなかった。相 手は一応雇い主である。
「では、いきます」
 修一はすうっと息を吸い込み、店の壁に貼られてあるロボットアニメのポスターに 視線を止め、一気にまくしたてた。
「客が来なくてさびしいな! 人がいなくてわびしいよ! クリスマスにはこの店で ! ブルーなひとときをご一緒に!」
 閉店後間もない店内は閑散としていた。表のシャッターも降りているから、なんと なく隔離されたような感じがする。修一の声はそんな空間にしばらくこだまし、そし て、消えた。
 目のやり場に困り、店主とアルバイト学生は、お互いを盗み見るように見つめ合っ た。
「――というのはどうでしょう?」
「酒井君」
「はい」
「キャッチコピーというものは、やはりお客さんをキャッチするために作るものだと 思うよ」
「僕もそう思います」
「ふむ」店長は少しうつむいた。黒縁めがねを外し、両目の間に指を押し当て、ゆっ くりともみほぐす。「世代の差かなぁ」
「ダメですか?」
「うーむ」
 うなりつつ店長はちょびヒゲを無意味に触る。決断をせまられた男の苦悩がにじむ 姿だった。
 先日、この、のどかな店ではおよびでない軍事オタク風の二人組が入店してきたこ とがあった。モデルガンなどを眺めていた彼らは、田中店長をチラリと見て「ヒト ラー」などとささやいていた。無論ちょびヒゲが原因だ。
 しかし、その他の部分では、田中店長はまったくヒトラーと相反する。ハゲている し、五十歳という年齢に関わらず瞳はすずしい。二重瞼で妙にまつげが長いのだ。  人格も穏和である。この「おもちゃのタナカ」がある東田町商店街の店主連盟にお いても、その柔和な性格のためか、やたら面倒な役回りを押しつけられることが多 い。事実、現在田中店長は「商店街活性化委員長」という肩書きを持っている。
 だけど、その活性化委員長の店舗が、実は最も危ういのであった。
 修一は工業高校の建築科に通う二年生にすぎないから、商売のことなどまるでわか らない。だが、それでも、この「おもちゃのタナカ」の経営状態が末期にさしかかっ ている気配は感じる。平日の午後六時から閉店までの三時間を勤めているが、その間 ただ暇を持て余すだけのことが多いのだ。まあ、だからこそ修一は時給四百円という 低賃金にも目をつむっている。手持ちぶさたの時などは、レジに座ったまま、「建築 考古学ハンドブック」や、「一般力学基礎」などを読んだりして過ごすけれど、まれ に小さな子供を連れた若い夫婦がやって来る程度の店だから、店長も特に文句は言わ ない。修一にとっては気楽な労働環境である。
 しかし、だからといって、店長が商売を放棄しているというわけではないようだ。 「ヤングマン」を雇ったのも、店にフレッシュな風を取り込もうとした結果だろう。 まだ若い修一に様々な意見を求めてくる様子からも、そのことはよく分かる。
「キャッチコピーの作成」も、そうした店長の要請だった。迫り来るクリスマスで、 なんとか起死回生をはかろうともがいているのだ。このキャッチコピーは、完成のあ かつきには横断幕に大書され、店の前に広げられる予定である。
「ダメでしょうか?」悩んでいる店長にしびれを切らし、修一は重ねて訊いた。
「うーん。もうちょっと何とかならないかなぁ」
「というと?」
「いや、ほら。『わびしいよ』なんて、なんだかホントにわびしいからシャレになら ないような気がしないかい?」
「でも、インパクトはありますよ。当たり前のキャッチコピーじゃ、人の目をひきま せんし……」
「うーん。それはそうだが」
「やっぱり目立たないと、とても『敵』にはかないませんよ」
 敵――この存在こそが、おもちゃのタナカの経営を圧迫し、さらには東田町商店街 の没落を招いている元凶だった。
 駅前に昨年建てられた大手百貨店である。
 一回流すのに「おもちゃのタナカ」の一ヶ月の売り上げほどの金額を要するテレビ コマーシャルを連日茶の間のブラウン管に送り続けるこの憎むべき「敵」は、先日 「消費税還元ハッピーハッピーセール」などという卑劣な手段をもちいて、さらなる 圧力を商店街にかけてきた。
 このとき商店街に走った動揺は尋常ではなかった。それまで気楽なアルバイトのつ もりでいた修一も、売り上げがガタ落ちした「おもちゃのタナカ」と、そのため頭を 抱える田中店長に大いに同情したものだった。
 そして、さらに不憫なことに、商店街活性化委員長である店長は、店主連盟の会合 で、やりだまに上げられたそうだ。
「子供だ。なんとか子供をこの商店街に呼び込まねばならない」
 それが、店主たちの主張だった。
 親や祖父母は子供に弱い。子供がこの商店街に来たいと言えば、親たちも同伴す る。そうすれば大人の客も増える。客が増えれば活気が出る。活気が出れば、ますま す客が増える――この好循環をつかむのだ。
 おもちゃ屋がそのカギを握っている――。
 田中店長は、その小柄な体の双肩に大きな責任を担うことになった。
「キャッチコピーはちょっと保留しよう」ぼそりと初老の域に片足を突っ込んだ店主 は言った。「酒井君。もう少しソフトなやつを考えてきてくれないか」
「そうですか」修一はうなずいた。「わかりました。確かに『さびしい』とかいうの は、ちょっとまずいですよね」
「うん。まあ、……とにかく、今日はご苦労だったね」
 本日、修一が対応した客は三人だった。一時間に一人の割合である。だから、「ご くろう」と言ってもらえるほどのことはしていないのだけど、わざわざそんなことを 指摘する必要もない。修一は素直に「はい」とだけ答え、店の裏口へ向かった。腕時 計を見ると、午後九時二十分だった。
 断られるだろうなと思いつつも頼んでみた。
「店長。車で家まで送ってくれませんか」
 今日は冷たい風が吹いている。駅まで歩くのもためらわれた。
「うーん」とやはり田中店長はうなった。「酒井君の家の方には車で行ったことがな いからねぇ」
 こういう部分で店長は結構ドライだ。自分の家と店舗の往復にしか車を使ったこと がない彼は、知らない道を通ることを極端に嫌う。運転によほど自信がないのだろ う。あるいはガソリン代を捻出することさえままならないのか……。
 しかたなく、修一はとぼとぼと駅に向かって歩き出した。吹き付ける風が学生服の 上から羽織ったオーバーをバタバタと振るわせる。空のオリオン座をちらりと見たと たん、冷気が首元から入り込み、思わず悲鳴をあげそうになった。修一は、マフラー を持ってこなかったことを大いに悔やみつつ、首をすくめて歩いた。
 道路の上で街灯の明かりを反射するマンホールがでっかい十円玉に見えたのは、経 営に苦しむ店長を思っていたせいかも知れない。



 高校で建築学を学び、それなりに知識が増えてくると、建物にも様々な「顔」があ ることが分かるようになった。
「棟梁」などとあだ名を付けられている建築科教師は言ったことがある。
「最高の建築物とは、歴史に名高いものでも、奇をてらったものでも、ましてや、大 金をかけたものでもない。中にいる人間が建物を意識しない建物――それこそが最高 の建築物だ。お前たちも、そういう設計を心がけろ」
 心臓が苦しいとき、人は心臓を意識する。つまり、自分の体を意識しない人間は健 康である。それと同じだ――「棟梁」は、そんなふうにたとえて、いわんとすること を生徒たちに理解させた。
 修一は大きくうなずいたものだった。
 小学生の頃、近所に住むみさきちゃんという女の子を連れて道を歩いているとき、 凸凹したアスファルトが気になってしょうがなった。なんでもっときれいに道路を整 備出来ないのか、なんで歩道がこんなにせまいのか、行政はなにをしている――と、 小学生ながらにいきどおりを覚えたものだった。
(僕だったら、こんなふうにはつくらない)
 近所のお菓子屋さんに入ったときも、同じようにそう思った。ところせましと商品 が詰め込まれていたため、修一は常に周囲の陳列棚を「意識」させられた。「注意」 が必要だったのだ。ああいう内装は、建築を学ぶ人間から見れば最低である。まった く落ち着くことができない。
 人間のパフォーマンスをとことん追求すれば、建物の内装はシンプルであるに越し たことはない。その点で「おもちゃのタナカ」は非常に優秀であった。商品の陳列状 況だけをとれば、おもちゃ屋というよりも、「宝石店」といった感じだ。空間を贅沢 に使っているのである。
 その、通常のおもちゃ屋にはあり得ない「異常性」が、修一には興味深かった。
三ヶ月前まで、店の前を通るたびに、じろじろと中を覗いていたのも、だからだっ た。
 そして、店長に声をかけられたのだ。
「アルバイトをしたいのかい?」
 かたわらの〈アルバイト募集。時給四百円〉なる張り紙を指さして、ちょびヒゲの 中年男は笑った。
 時給は低いけど仕事は楽だから――と言う、憎めない顔に負けて雇ってもらうこと にしたのは、ちょうど、部活動に興味を失っていたからでもあり、純粋にお金が欲し かったからでもあった。
 勤めてみると、店が建築学でいう「平均値」を無視していることがよくわかった。  通常、不特定多数の人間が集まる場所は、成人の男女を「平均」として設計され る。最近は緩和されつつあるが、それでも、駅の階段や改札は、小さな子供や腰の曲 がったお年寄りには不親切なのだ。
 修一が建築士を目指すようになったのも、そういう「多数決的な妥協」を嫌ったか らだった。誰が利用しても不便さを感じない――そんな建築物をぜひ自分で設計した い。
 だが、これが難しい。どうしてもどこかに「平均値」を設定しないといけないの だ。図面に向かうたびに修一は頭を抱えて悩んでいた。
「おもちゃのタナカ」の内装は、そんな難題に対する回答のひとつだった。まだまだ 勉強中の身だけど、自分の目に狂いがなかったことを、修一はレジに座るたびに確信 する。このおもちゃ屋はわびしい感じもするが、その簡素性は実に機能的にできてい る――。
 修一は「おもちゃのタナカ」がつぶれるような事態は、個人的になんとしても避け たかった。だから、クラスメイトにも、店を宣伝するようにしている。
 しかし、店や商店街の危機を知らない級友たちは、揃ってこう口をそろえるのだ。 「ダサイからな」
 大手百貨店はスマート。商店街はみすぼらしい――それが、ティーンエイジャーの 評価だった。
「でもさ」と修一はめげずに言う。「商店街でも物の値段は変わらないんだぞ」
 それに、商品購入後のケアにおいて大手百貨店には確実に勝っている。事実、「お もちゃのタナカ」にも修理依頼がよく来るのだ。先日も、一昨年買ったなどというラ ジコンカーを持ち込んできた子供がいたが、田中店長はいやな顔ひとつせず修理して やった。もちろん無料である。
「お前がバイトしてるのは、あのおもちゃ屋だろ? 商店街の真ん中辺りにある」
「そう。『おもちゃのタナカ』だよ」
「それがまずダサイな」
「なにが」
「名前が」
 そうかも知れない……修一自身、それは痛感している。
「でも、それは店長の名前だから……」
「それに」とクラスメイトは続ける。「あの店は、品物のレイアウトがよくない」
 ずばずば言うヤツだと思いながらも、修一はやはり反論できなかった。
 おもちゃ屋だから、それこそ店内は色とりどりだ。プラモデル、ジグソーパズル、 ぬいぐるみ、テレビゲームなどなど、通常のおもちゃ屋に置いてあるものは、当然す べてある。
 だけど、その配置が突飛だ。
 まず、やけに商品の位置が低い。
 初めて店に入ってきた客は、大抵そのさまに目をむく。ちょうど修一の腰の高さく らいにすべての商品が置かれていて、おそろしく見通しがよい。おもちゃ屋独特のゴ ミゴミした感じがまったくない。建築設計における空間配置の基礎的常識を大きく逸 脱しているのだ。
 クラスメイトは続けて言う。
「あそこはなんだかいつも見張られてるような気がするからな」
 確かにそのとおりだろう。「宝石店」のように見えるのもそのためだ。レジカウン ターから、店内の人間はくまなく見張ることができる。おかげで万引きの被害はまっ たくない。しかし、それも裏を返せば、小さな子供が転んだりしてもすぐに気が付く ――という利点でもあるのだが……。
「それに、やけに通路が広いだろ。あれもなんだか嫌だな」
 それも、そのとおりなのだ。店内の通路は相撲取りが楽にすれ違えるほど広い。一 部では、「名古屋の道路でも、あれほど広くはないだろう」などと揶揄されていると 聞く。
 総じて、無駄なスペースが多い。普通のおもちゃ屋の五分の一ほどの商品量しか配 置していない。朝市で見かける野菜売りのようなレイアウト――それが「おもちゃの タナカ」の特徴であった。
 しかし、修一にはそれが興味深いのだ。あれこそ自分が理想とする、誰にでも親切 な設計なのではないだろうか――?
 修一は尋ねてみたことがある。こんなレイアウトを一体どこから思いついたのか、 と。
 田中店長の答えはこうだった。
「地震のときなんかに、お客さんが商品の下敷きにならないようにだよ」
 つまり店長は安全第一主義なのだ。
 なるほど、と修一は思ったものだ。
 実際、「シンプル」は「安全」につながる。震災に襲われた神戸が、煩雑に物を詰 め込むことの危険性を教えてくれている。
 だけど。
 そんな、客の安全性の追求が、店の経営を危機にしている部分もあるのだから皮肉 なものだ。修一と同年代の人間がよりつかないのは、やはり大手百貨店のような ファッション性に欠けているからだろう。多くの客は、「シンプル」を「質素」と見 て取ってしまうのだ。
 近年のおもちゃ屋は決して小さな子供のためだけのものではない。店長のいう「ヤ ングマン」をもっと呼び込む工夫をしなければ、この先経営はもっと苦しくなってし まう。
 修一にはそれが気がかりだった。
 キャッチコピーもいいけど、店のセンスをあげる努力が必要なのではないだろう か。
 現在の内装には、個人的に興味も好感も抱いているが、正直なところ、もう少しお もちゃ屋らしくあってほしいという気もする。
 店長の人格を知っているだけに、修一はその辺のことを強く指摘できずに困ってい るのだった。



 翌日も、放課後に製図室でしばらく図面をひいてから、アルバイトにでかけた。 「店長。酒井です」
 店舗の裏口を通って、店のネーム入りエプロンを掛けながらレジにおもむくと、 「おお、酒井君。ごくろうさん」と店長はやはりにっこりした。
「交代しますよ」
 円椅子に腰掛け、修一は店内を見渡す。相変わらず客はいない。見晴らしは最高 だ。広々とした店内通路に哀愁が満ちている。
「いいキャッチコピーはできたかい?」
「一応考えて来ました」
「そうか、じゃまた閉店後に聞かせてくれ」
「すると、今日も遅くなるんですか?」
「うん、まあね」
 あとは頼むよ、と言って、田中店長は奥へ消えた。これから家へ帰って食事をし て、風呂に入り、それからまた戻ってくるのだ。独身だけど、そういう生活リズムは きっちりしている。
 儲からないからなるべく店は遅くまで開けて置きたい。だが、一人ではそれもきつ い。だからアルバイトが必要になったという。しかし、時給四百円とはいえ、三時間 修一を雇うのだから、一日千二百円の出費になる。その三時間で千二百円以上の実益 があればそれでいいのだけど、修一がざっと素人計算したところでは、なんとかトン トンという厳しい状態だった。
 修一としては、いいキャッチコピーを提出して少しでも貢献したいところだ。店に ひとり残された彼は、とりあえず「建築考古学ハンドブック」を脇に置いて、広告の 裏紙を利用したメモ用紙に、第二第三のキャッチコピーをつづることにした。
 店内にはすでにジングルベルなどが流れている。サンタとトナカイのカッティング シールも入り口のガラスに貼った。プラスチックのもみの木に電球を取り付け、綿の 雪も乗せた。――クリスマスまであと二週間。そろそろ客に押しかけてきてほしいも のだ。
 自動ドアがウィーンと音をたてて開いた。生意気にもドアは自動で開閉するのであ る。
「おもちゃのタナカ」は、東田町商店街では唯一自動ドアを持つ店だ。六年ほど前に 店の内装を変えたとき、思い切ってこのドアを導入したという。それで客が増えたか どうかは、修一は知らない。
「いらっしゃーい」
 メモ用紙から顔を上げ、愛想よく声をかけた。
 親子連れである。まだ二歳くらいの男の子と若い母親だった。こういった小さな子 供には、この店は適当だ。どの商品にも手が届くし、通路も広いからよちよち歩きで もへっちゃらである。実際「おもちゃのタナカ」にやって来るお客は、この「小さな 子供と親」という構成が非常に多い。大手百貨店と違って迷子になる可能性がきわめ て低いことも、親にとっては安心できる要素なのだろう。そんなお客がもっと増えて くれればいいのだけど、世の中そううまくはいかない。
 これください、と若い母親がレジに持ってきたのは、色鉛筆と塗り絵セットであっ た。ほとんど文房具に近い物だが、これも立派な商品である。
「ありがとう坊や。クリスマスにまた来てね」
 でれっと笑う子供に手を振って、修一はしばしさわやかな気分に包まれた。
 その後もぽつぽつとお客がやって来た。今夜はなかなかの繁盛である。赤ん坊の 乗った乳母車を押した若夫婦や、孫のプレゼントを探す年寄りが来店しては細々とし たものを買っていく。どうも、やって来るのは、大手百貨店に近寄るには少し体力が 足りない――という人たちばかりのようである。そんなお客を見ていると、修一も、 どこかほのぼのとしたものを感じる。
 ただ、さばけるのは低価格商品ばかりで売り上げは相変わらずいまいちである。湯 水のごとくお金を使う若者は、みんな百貨店に行ってしまうのだ。かなしいことであ る。
(今度みさきちゃんを招待してみようかな)
 修一はぼんやり思った。
 みさきちゃんは、この「おもちゃのタナカ」を気に入ってくれるに違いない、と。

 田中店長が帰ってきたのは、やはり店を閉める直前だった。
 店長の家までは、ここから車で十分ほどなのだけど、今日のようにやたら帰りが遅 いこともしばしばだ。食事や風呂があるとはいえ、自宅との往復だけでそんなに時間 が掛かるのだから、なんとものんびりした人である。おそらく客層が、この中年店長 をさらに穏やかにしているのだろう。
「やあやあ、ごくろうさん」などと田中店長はおっとり言う。「儲かったかい?」
「ええ、まあまあですよ」
「そりゃ良かった」
 ははは、などと笑う。
 そして、店を閉めてから、早速キャッチコピーの発表となった。
「では、聞かせてもらおうかな」
「はい」
 修一はうなずき、えっへん、と咳払いをひとつした。すうっと息を吸い、昨日と同 じように、大きな声で発表した。
 それは、この店の特徴を最大限にアピールするコピーだった。



 その夜、修一は両親にとがめを受けることになった。
 食事中である。
 ショウガ焼きを食べているとき、父親が口を開いた。
「お前、部活動を辞めたんだってな」
 出し抜けに言われ、修一はショウガ焼きの破片を気管に詰まらせた。ゴホゴホとし ばらくむせた。
「――なんで知ってるんだよ」
「今日、木村君に駅でばったりあったんだよ」
 一年のとき、一緒にバスケットボール部に入った友達の名を出して、父親はむっつ りした。
「製図と部活の練習で毎日おそいと、お前は言ってたよな」
「オレにはバスケは向いてなかったんだよ。やっぱり図面をひいたりするような、デ スクワークが性に合ってるんだ。うん」
「そんなことを言ってるんじゃない!」声を荒げて、父親は言った。「お前が部活動 を辞めるのは親としちゃ残念だが、反対はしない。嫌なものを無理して続ける必要は ないからな」
 だがな、と箸を置く。
「親にウソをついて、お前は今まで何をしてたんだ。え? 学校が終わってから、夜 の九時過ぎまで毎日どこでなにをしてるんだ」
 激しい口調だった。
 修一は神妙な顔をつくり、そっと茶碗に箸を置いた。母親をチラとみると、もう泣 きそうな顔をしている。看護婦をしている普段気丈な母親だけど、こういうことには あまり慣れていないのだ。たぶん「非行」という文字が彼女の頭の中で点滅している に違いない。
 まいったなと思いつつ、修一は正直にうち明けた。おもちゃ屋でアルバイトをして いる、と。
「店主は、アルバイト学生の親から承諾を得ずに雇うような人なのか」
「いや、田中店長には親の許可を得てるってウソをついて雇ってもらったんだよ」
「それにしても、普通、店から家の方に確認の電話一本ぐらい入れるだろうが」
 父親はそう言って母親に顔を向けた。
「お前、そんなおもちゃ屋から、電話を受けたか?」
 母親はゆるゆると首を横に振る。それを見て、父親は舌打ちした。
「なんて、いい加減な店主だ」
「いや、店長はいい加減な人じゃないよ」
 責任感が強いゆえ、商店街の面倒くさい役回りにも一生懸命当たっているのだ。
「お前が店主をどう思ってるかは知らんが、現実に、お前の身元をしっかり把握する ことを怠っているじゃないか」
「そうみたい……だね」
 修一もそう指摘されれば返す言葉がない。バレてもいいや、というつもりでバイト をはじめたけど、いつまで経ってもそんな気配がないので少し不可解ではあったの だ。
「ねえ、おとうさん」そのとき母親が言った。「『おもちゃのタナカ』って、あの田 中さんのとこじゃないの」
「どの田中さんだよ」
「東田町の商店街で田中って言えば……ほら」
 あっ、と裏返りそうな声を上げて父親は驚いた。
「なんだよ」わけがわからないのは修一だった。「そんなに有名な人なのか?」
 ちょびヒゲで知られているのだろうか、と少し思った。あの店長の名前が他人に知 れ渡るとしたら、それくらいしか思いつかなかった。
「おい修一。その田中さんは今、歳はいくつだ?」
「確か五十歳だよ」
「ひょびヒゲをはやしてるか?」
「そう。ちょびヒゲのおっさんだよ」
 ほらやっぱり、と母親が確信顔をする。
「なんだよ。店長を知ってるのかよ?」
「知ってるもなにも……」父親はすこし口ごもり、それから言った。「みさきちゃん を車ではねたのがその田中さんだよ」



 修一は思う。みさきちゃんに知り合っていなければ、自分は今頃、普通科の高校に 通っていただろう、と。
 みさきちゃんは現在小学校の五年生。下肢不全片麻痺で普段は車椅子の生活をして いる。彼女が交通事故に遭ったのは、七年前。もちろんまだ小学校にもあがっていな かった。
 母親に用があり、勤め先の病院へ行ったとき、すでに退院して定期的に通院するだ けになっていたみさきちゃんを見かけた――それが、修一の未来を変えた。あの日、 母親は、修一に言った。
「家がそんなに遠くないからね。あんた、これからみさきちゃんと仲良くしなよ」
 付近では、運動に障害のある子供をあずかってくれる幼稚園がなく、そのため彼女 は、さびしい思いをしていたのだ。
 当時まだ小学生だった修一は、学校から帰ると自転車に乗ってみさきちゃんを訪ね る事が日課となった。それも彼女が小学校にあがるまでの短い間だったけど、修一は 楽しかったことをよく憶えている。
 みさきちゃんは非常に頭が良く、ともすれば修一以上に落ち着きのある子供だっ た。完成に手間取っているプラモデルを抱えてイライラする修一をなだめるのも彼女 なら、散歩中、道路の凸凹に一言も文句を言わなかったのも彼女のほうだった。自分 に衝突してきた車がスリップした原因も、いい加減な測量でつくられた道路の水たま りにあったにも関わらず、みさきちゃんは腹を立てることをしなかったのだ。少なく とも修一は、みさきちゃんが不服を言ったり、だだをこねたりするのを見たことがな い。
 そんな彼女だからだろう。広量な小学校に入学すると、すぐに沢山の友達を得た。 修一が訪ねて行っても不在であることが多くなったほどだった。
 そうして次第に修一も彼女とどこか縁遠くなってしまったのだけど、今でもたまに 電話が掛かってくるし、律儀に年賀状もくれる。
 そのみさきちゃんをはね飛ばしたのが田中店長と知り、修一はしばらく声も出な かった。
「あの人のことはよく憶えてるわよ」と母親は言った。「みさきちゃんが入院してい る間は毎日病院に訪ねてきたもの」
 みさきちゃんの両親に酷い罵倒を受けても、田中店長は訪ねることをやめなかった という。
「土下座してるところなんか、何度見たかわからないわ」
 そして母親は続けてこう言った。
「今でも、みさきちゃんの家に頻繁に顔を出すそうよ」
 とっくに法的な償いは終了しているのだけど、それでも店長は通い続けているとい う。今では、みさきちゃんも彼女の両親も、田中店長と非常に懇意になっているそう だ。事故のせいで田中店長は奥さんに離婚され、ずいぶんとつらい目に遭ったらしい のだが、それでもみさきちゃんの家を訪ねているときは、そんな感じをまったく見せ ないという。
「いつも、夜の遅くならないうちに行くんだって」
 店を閉めたあとに訪ねている――ということにしているらしい。だが、どうやらそ れが、ここ三ヶ月は違うということに、修一も、修一の両親も気が付いた。
「そうか」と父親は修一を見て言った。「お前が店番をしている間に、店長さんはみ さきちゃんを訪ねてるんだな」

「どこよりも安心できる店。品質も身の安全も保証します!」
 それが、今日修一が店番中に考えたキャッチコピーだった。
 本来、おもちゃ屋に危険な要素を見つけることの方がむずかしいのだけど、それを わざわざ主張するところに新鮮みがあると思った。少しウケを狙っていたことも事実 だ。だけどその文句にまったく偽りのないことも、また事実だった。
 店長が採用したときは正直信じられない気がしたものだ。なかなかユーモアがわか るじゃないか、などと思った。が、今日両親から聞いた話をふまえると、店長に脳天 気な考えなどまったくなかったことは明らかだ。
ベッドの上で修一は寝返りを繰り返していた。夜がすっかり更けても、まんじりと もしなかった。店長の穏和な笑顔がどうしても頭から離れない。
 ――車をあまり使いたがらないこと。
 ――電話で修一の身元を確認しようとしなかったこと。
 修一は暗澹とした気持ちになった。みさきちゃんの家とその近所には、店長はいま だに強い罪悪感を抱いているのだ。確かにみさきちゃんの体は不自由なままとはい え、それでは店長があまりに不憫だった。
 そして自然と、店の常軌を逸した部分に考えがおよんだ。
 ――商店街唯一の自動ドア。
 ――広すぎる店内通路。
 ――低い商品配置。
 すべては、そのためだったのだ。
 車椅子の人でも楽に品物を手に取り、楽に買い物ができる――。売り上げを無視し て、田中店長はそのレイアウトを実行したのだ。たぶん、そうしなければ気が済まな かったのだ。
 そして、おそらく、
 ――いつか、みさきちゃんにも来てもらいたいために。
 まぶたが熱くなってきて、修一はまくらに顔をうずめた。



 クリスマスを四日後にひかえた日曜日。
 修一は初めて休日に店へ出た。
「おはようございます」
「やあ、悪いね酒井君」普段と変わらない田中店長が待っていた。「たぶん今日は忙 しいだろうからね。ヤングマンに手伝ってもらわないとね」
 正月と並んで、おもちゃ屋が一年で最も多忙な日だ。中年の店長だけに任せておく のは、修一としても忍びない。
「今日は十時間くらい働きますから、バイト料四千円ですよ」
「なぁに、それくらいどうってことない」ははは、と店長は笑う。「今日はいっぱい お客さんが来るだろうからね」
 店の前には十日ほど前から横断幕が張られている。もちろん、修一が考えたキャッ チコピーだ。
 これがなかなか好評のようである。東田町商店街店主連盟の会合でも、その大胆さ が話題となったようだ。
「大丈夫かなぁ、なんて心配する店主もいたけどね」
 ふたを開けてみれば、大手百貨店へ行くのに抵抗のある人たちをひきつけることに 成功したようだった。ここ一週間ばかり、人の流れが非常にいい。もともと、小さな 子供を持つような人たちに「おもちゃのタナカ」はウケがよかったのだ。それが、横 断幕のおかげで一気に評判が広がったらしい。
「そりゃそうだよ。こんなに広々としたおもちゃ屋はどこにもないんだからね」
 確かにそのとおりである。修一はうなずいた。
 よく考えれば、この「商店街」そのものが、乳母車を押した人や、車椅子の人に便 利に出来ているのだ。人の移動は常に平行方向である。エレベーターやエスカレー ターに乗る必要はない。メイン通路に段差はまったくないし、雨を防ぐ軽量アーケー ドは震災時にも瓦解することはないだろう。エスケープコリドーはどこにでもあるか ら、避難時に弱者が非常口からはじき出されることもない。
 きわめて機能的なその作りは人間工学に基づいている――かどうかは修一にもしか とは判断がつかないけれど、それに近い形態になっていることは間違いない。まがり なりにも人の活動空間の設計をこころざす者として、そのことはよく分かるし、また 勉強にもなったのだった。
 その日、いよいよシャッターが開けられた「おもちゃのタナカ」を見れば、人に親 切な作りであることは証明されたといって良かった。
 修一は、奥の倉庫からつぎつぎに商品を引っ張り出し、休む暇もなく棚に補充して いった。ひとつの棚を片づけて、ふと視線を反対側に投げると、もうそこに欠品があ る。切りがない。倉庫と店舗を往復する悪夢の永久運動をするハメになった。
 店長はと言えば、当然レジに張り付きっぱなしである。昼になっても食事はおろか トイレさえ厳しい状況だった。
「こりゃ、来年はアルバイト君を増やさないといけないな」
 とぼやく声を聞いていると、修一はこれだけ働いて四千円では割に合わないとぼや きたくなった。

 やっと一息つくことができたのは、そろそろ日も暮れようかという頃だった。
 体が火照っていた。店の暖房があついほどだ。
「酒井君。向かいの喫茶店から何か冷たい物でも持ってきてもらおう」
 店長のおごりだというので、修一は遠慮なくごちそうになることにした。
 ジングルベルが控えめな音量で流れている。やさしい鈴の音が耳に快い。
 出前してもらったアイスコーヒーを飲みつつ、修一は、その、クリスマス気分をか き立てるメロディーにしばし聴き入った。
「やっぱりヤングマンの感性は鋭いね」ハゲ頭をハンカチで拭きながら店長が言っ た。「キャッチコピー作戦は大成功だよ」
「ボーナス出ますか?」
「そうだね。考えておくよ。それより、店主連盟から金一封が出るかも知れないよ」
「ホントですか?」
「ああ、これだけ商店街に人が集まったんだからね。連盟に酒井君のことを言えば、 かなり期待できると思うよ」
 ありがたい話である。修一はほくほくした。
 そして、そんなふうに喜びながらも、頭の片隅でみさきちゃんのことを考えてい た。
 ――来ないのかな。
 彼女には、「おいで」とは言わなかった。店長自身がそんなことは言わない人だか らである。だから修一は、自分が「おもちゃのタナカ」でアルバイトをしていること だけを伝えた。
「なんだかそわそわしてるねぇ」と店長は笑った。「バイト料が楽しみなのかい?」  修一はみさきちゃんのことを頭の片隅に追いやり「まあ、そんなところです」と答 えた。
「何か買うつもりなのかい?」
「ええ、お金が貯まったらドラフターを買おうかと」
「ドラフター? なんだいそりゃ」
「設計図をひくための装置みたいなものです。傾斜机とアームが一体化してるんです けど、ものすごく高価なんです」
「そうか。じゃ、しばらくガールフレンドにもプレゼントなんかは買えないね」
「いやぁ、もともと相手がいませんから」
「そりゃいかんね。可愛い娘には積極的にアタックしないと」
「はあ、アタックですか……。それより店長こそ相手を見つけないと」
「それを言われるとつらいなぁ」などと、ハゲ頭をさする。「あきらめてるんだけど ねぇ」
「五十歳でも、ひとつの店のオーナーなんですから、さがせば相手は見つかります よ。あきらめるのは早いですよ」
 そう、あきらめるのは早い――静かにひらいた自動ドアを見て、修一はそう思っ た。
「いらっしゃ――」
 店長の、ちょびヒゲの下の口が、あんぐり開いたまま止まった。
「こんにちはおじさん」
 店内のレイアウトに一瞬驚きつつも、みさきちゃんはそう言って笑った。慣れた手 つきで、するすると車椅子を滑らせる。肩にかかる髪が後ろへなびいた。
「こんなに通路が広いなんて、びっくり」
 賢いみさきちゃんは、その理由をすぐに察したようだった。が、それ以上は言わな かった。その心遣いが修一にはうれしかった。
 田中店長はほとんど自失していた。みさきちゃんの次の台詞を聞くまでは。
「こんにちは」と彼女は、修一にも笑顔を向けた。「おにいちゃん、久しぶりね」
「――おにいちゃん?」店長は顎をガクガクさせる。「さ、酒井君……。みさきちゃ んを知ってるのかい?」
「店長こそ、みさきちゃんを知ってるんですか? 偶然ですね」
「い、いやわしは、知ってるなんて……そんな軽々しく――」
「ところでみさきちゃん」修一はキャッチコピーを発表するような声で訊いた。「一 人で来たの?」
「そうよ。JRの駅員さんも最近は車椅子に親切なのよ」みさきちゃんは大人びた口 調で答えつつにっこりする。
「そうか。でも疲れただろ? ちょうどいいや、今、店長にアイスコーヒーをおごっ てもらってたんだよ。みさきちゃんもジュースをおごってもらえば?」
「じゃあ、オレンジジュース」
「よしわかった。おにいちゃんが買ってきてやる。店長の名前でツケとけばいいから ね」
 まってな、と言い置いて、修一はサンタとトナカイに彩られた自動ドアを出た。
 そうして、十二月の肌に心地いい空気を切って喫茶店に向かいながら、振り返って 様子を眺めようとした。事実そのつもりで出てきた。
 だが、立ち止まって首をひねる直前、思いとどまった。
買い物客の楽しげな声音を耳の端でとらえながら、修一は思った。(やっぱり、や めておこう)と。
(決して、僕がプレゼントしたわけじゃないんだから)
 それに――。
 これから何度も見ることのできる光景だろうから……。
 原色のアーケードに、ジングルベルの鈴の音が、高く静かにこだましていた。
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